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zoom RSS 摂津 沢良宜城、水尾城、目垣城 黒丸城、

<<   作成日時 : 2016/12/25 14:58   >>

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今年、新たに行った城は、和歌山城、 淀城、 淀古城、 竹迫城
と余りにも寂しいので、駆け込みで近隣の城を一挙 制覇してみた。
いずれも平城です。
摂津は、将軍、細川氏、三好氏、門徒衆と入り乱れ争った為、
城が非常に多く、なかでも平城が多いのが特徴です。



【沢良宜城】
所在地: 大阪府茨木市美沢町13
沢良宜神社横の小さな公園の中に石碑と解説板が有ります。
城の規模は、約3千坪有ったと言われているが、今では、
マンション群に囲まれ、城をイメージする事は、出来ない。
唯一、沢良宜神社の長い参道が、馬塲跡と伝わる様です。
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築城主 築城時期ともに不明
解説板によると室町時代、堺に進出して来た大内義弘を迎え撃つ時 
沢良宜城主の藤井三位は、四代将軍義持から「御馬廻り免状」をもらい、
郎党3千騎をしたがえて出陣したと伝えられています。
画像

城域は広大で、「勝尾寺衆徒」の中でも相当な力を保持していたそうです。
しかし、応仁の乱の頃か、もう少し前の1400年代の早い時期に廃城となった様です。

【水尾城】
所在地:大阪府茨木市水尾3丁目3
住宅地の中の小さな神社(伯光神社)の境内に石碑が有りました。
目印は、伯光大明神が宿っていると言われる大楠です。
画像

築城主は、平尾孫左衛門で、応仁の乱により全焼した紫雲山西方浄土寺の焼跡に
城を築いた様です。
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平尾孫左衛門は、美濃の斎藤妙椿(1480年没)に仕えたあと、三好三人衆に
従った様です。時代が合わないので、同性同名か誤伝承が有ると思われる。

平尾氏は信長の進出時に帰農した様です。


【目垣城】
所在地: 茨木市目垣1丁目
安威川沿いの仏照寺の門前に有る『名誉医学博士奥田光記念館』の敷地内に
石碑だけがありました。
山田十三支城のひとつと言われるが、位置・興廃年月とも不詳。
画像

目垣の地は、古代から中世にかけて広くこの地を統裁していた
溝咋氏の所領溝咋荘の内にあり、溝咋荘の代表的な土地であったことがら
この名が付けられたといわれています。


【黒丸城】
所在地:摂津市鳥飼中2
「鳥飼仁和寺大橋有料道」高架の登り口の歩道横に石碑が有りました。
築城年代や由来、正確な位置など詳細は不明ですが、石碑と説明版は
立派な物です。
交通量の多い通りに面していて、ここに城が有ったと思わせる雰囲気は、
今では、何も残っていないです。
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「細川両家記」には
「永禄2(1559)年、三好軍が天王寺まで出陣し、その後鳥飼へ帰陣した」
「元亀元(1570)年、諸軍敗北し、天満森へ引き返しその後、鳥飼で談合があった」
とあり、説明版にも掲載されています。
三好氏の拠点の一つだったと思われる。



久しぶりの自転車で出かけたが、距離もほしいので、近隣の城は、セットで雑く回ってしまった。
靴、やっぱり歩き周り難いけので、SPDに戻そうかどうしようか検討中



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